二宮に思う(その4)

2026年10月24日

二宮に思う その4

2022年から2年間教育福祉常任委員長として「こどもの権利」を研究テーマに2か所の長野県の先進校(南アルプスこどもの村小学校とグリーンヒルズ小・中学校)を議員(松崎議員以外の全員)と教育課長、子育て課長で貴重な文科省も推進する多様化、個別最適学習のだれ一人取り残さない教育の実践ケースを見聞したこと、さらに様々な住民の方々の創発を支えに、公民連携協働のこどもの権利条例制定を議会として求めたこと(全国的に聞かないと川崎こどもの権利フォーラム代表の方が言われた)は今後の二宮町の教育に資する議会活動だったと思う。

写真は私の長崎県島原の祖父の庭での古い写真。

 長崎大学附属小学校や教育長、県の教育主事や行政相談員として瑞宝章を受けた現地では歴史に残る教育家とのことで親族は誇りに思っていた。校長として赴任する先々の学校の校庭を生徒が誇りを持てるよう植生を庭園のように変え、包丁を持って職員室に来た興奮した卒業生を校長室で諭したとか札付きの不良を自宅で家族と共に生活させたり、周囲のこどもから大人までをお腹がよじれるほど笑いころげさせる話術と滔々とした弁舌で予算を獲得していった等逸話は枚挙に暇がない。

 写真の庭は祖父が手掛けた自宅の庭。雲仙岳を借景に多様な植生に囲まれたぴかぴかな芝生に縁側から裸足で飛び出して遊んだ記憶が懐かしい。浄土真宗の僧侶でもあったことで、毎朝お経をあげ、形而上的な「陰と影」についての訓話を中学生になった孫で一番年長の私にされた記憶がある。

 祖父の薫陶を受けた母は私が声楽を学ぶために入った音大で教職過程も取ることを強要。横浜市の中学校での教育実習は忘れ難い経験だ。

 写真の教育実習記録が先日の大掃除で出てきた。大勢の子どもたちに体当たりした記録の若々しさが我ながら眩しい。「子どもたちの生き始めた人間の美しさに自分が今まで何を観てきたのか胸が切りきり痛む思いがする」と。。

一方担当教諭の評では「あなたの生きた個性のアタックは子どもたちにとって電撃的であり、生演奏はストレートに力みなく心に浸透した」とあり、相互の出逢いだったことは一縷の救いと思う。

 実は最後の校長との面談で「教員試験受けるのか?」と聴かれ(大学から受けないというなときつく言われていた)「準備不足で…」と言うと「それではこの学校で教えながら準備できるようにしましょう」と言っていただいたことは亡くなった祖父に伝えたい思いがした。というのは校長室に入ってすぐ言われた言葉に私が憤慨して抗議した後だったからだ。若い私の本能的な反応に祖父の影があったと思うのだ。

校門の外まで出てきて見送ってくれた生徒たちを観て一瞬「先生になる?✨」とよぎるもイタリアベル・カントへの思いが勝った当時の私だった。

 かけがえの無い学びを頂いた子どもたちと、学校、そして200人以上のピアノの生徒たち、出逢ったコーラスの方々、二宮の子どもたちから学ぶ多くの方々に何とか恩返しをしたいと、そして祖父の陰を自分は引き継いでいるのだと気づく今日なのだった。 表示を縮小

写真の説明はありません。. 自然、地平線、たそがれ、雲、海の画像のようです. 写真の説明はありません。. テキストの画像のようです. テキストの画像のようです