二宮に思う (その5)

2026年10月30日

80代後半の住民の方に貴重なお話を頂いた。

「二宮中学校を建てるとき、町は金がなかったから中学生の自分達が朝から海岸沿いから砂を運んだ。」

「えーー‼️中学生が?大人の仲間として建設の労役を担った?」

「国道を創るために家を移転して畑だった所に家を建てた」

「おお、昔の二宮の写真見ました‼️

吾妻山の上まで田圃、畑が広がっていました。」

「新庁舎を建てるというあの果樹園のあれはなんだ?

ずっと散歩していた仲間と会うたびに情けないと話してる。ブドウや梨が採れていて大事な場所だった」

「陳情を審査させて頂きました。皆さんの毎日の生活の喜びであったことは本当に理解しましたし、私だってブドウも味わったし好きだった。。ただこれからの100年見据えると、見方は変わる。気候変動の減災策として

グリーンインフラという分野の東京大学農学部の生態系専門の先生の学習会を持ったとき果樹園の管理棟で職員と環境再生の団体の方々と共に二宮町の俯瞰図をみてご意見頂いたときに「果樹公園の木がずいぶん老木だ」とおどろかれていたほど。

県も町も知っていた。町も説明しているんです」

「それでも採れていたんだ」

「それから40種類を越える農薬散布を長年続けてきた。ネオニコチノイドという生態系や人間への被害が証明されている有名な農薬も投入して老木著しい木でした。自然と人と言う観点からも花の丘公園の山林もふくむ未來に向けた環境再生と憩いの森にしていく政策が大事です。」

「埋蔵文化財が出てるから遅れているって言うが、何でどんなのが出てるって説明しないんだ」

「調査も終わっていないのに説明できないですよ。 子どもたちも含めて説明する機会を創るって部長は前から議会で言ってます」

「人もどんどん出ていってる。ずっと昔からの二宮のことを知らない人間に託せない」

「転入者は増えていてこのまちの風土や新しい世代の住民がこどもの未来を見据えながら動いている様々な活動がさらに転入者を惹き付けている。

町制90周年記念でラディアンホールで子どもたちを中心にこれまでの千年を見据えた「にのみやミライ史物語」を創って上演しました。

これまでに町のために尽くしてきた人たちの情熱はずっと引き継がれてきていると痛感している。素晴らしいこのまちの文化だと思うし、しっかり受け止めている。」

「そして新庁舎は行政としてやらなければならないことです」

「大事なことをわかって頑張ってる人が大事。頑張ってくれよ」」

ああもっと皆と話さないと。

私もこのまちに起きている素晴らしさを

みっと住民の方々に知っていただく説明を尽くさないといけないと痛感した1日でした。 表示を縮小