後弾く山極博士との出逢い

京都大学人類学研究のビッグな今西錦司博士の直系である人類社会の探求者の言葉に

2026年6月3日

控室でのあわただしいお弁当をとられる時間にファシリテーターとパネリストのかたがたと顔合わせの時間。

「生まれて早い時期に、自然界と交感して遊び、心と体が開かれる時間(部屋の中ではだめ)が非常に大事。リズムが共振して物事とつながり、協働し、創造するすべての最初の関わりの体験がそのあとの生き方につながる」一点を見つめて集中される気迫に圧倒された。

私の方は幼児期から家を一歩出れば田んぼや里山が広がる昔の横浜、そして原風景の長崎の生物多様性の海。

物心ついたときから呼吸をするように音楽を発し、詩や絵を描き美術の百科事典を眺めながら眠りについた。古代の青いガラスの器や壁画、彫像、から現代に至る絵画、建築、目に焼き付いている。そういえば良く本も読んだ。

多かったのはロマン-ロラン、ヘッセ、、、その他哲学、美学、マンガは大島弓子が好きで最低手っ取り早くマンガ家にはなれると中学時代は出版社に持ち込んだりしていた。実際私の書く絵はすでに買い手がついた(嘘ではありません)

日本の作家は三島由紀夫が多かった中学生のころ。大人になったら物語読めなくなって、シュタイナーやユング、河合隼雄さんから心理学やそして養老孟司や文化人類学、その後は京都大学霊長類研究所の一般向け読本 これが長かった。人がさるに見え、社会が観えた。そしてこれが読書ブームの最後。

イタリアベル・カントに出逢ってからはほぼ言語から離れた(笑)

それでもイタリアに通いづめ芸術、(ユマニスム)人間とコミュニケーションのことは必然的に考えさせられた。

恩師は医者の娘で求道者。まさに呼吸や作業療法の世界が20年。

結婚出産と共に生活クラブ加入、自然だけがパワーを与えると確信して嵐だろうが幼児の息子と里山海に通い、議員になってからはまさに福祉、環境、教育を中心とした社会学系のみ(あ石牟礼道子さんの本は特別。島原の海は原風景)

山極寿一先生はビックな京都大学霊長類研究所の今西錦司博士直系で南方熊楠賞受賞の最後の大物と注目していた。

打ち合わせと打ち上げで隣に座り山極先生の集中力一切途切れず続く講話を聴き続けた。

宇宙の様な識見がインド音楽のように巡り紡がれ螺旋を描きこの世のからくりを探求し続ける。 この世界への限りない好奇心と真実を求め人類の未来を切り開こうとする中身の人。

まさかこんな日が来るとは…心が洗われ勇気を貰った。